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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2007年11月

日本語 / English / Français
最終更新: 2007年11月29日
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■点滴済んだもご存じない (2007/11/29)
■看護師と人類学者 (2007/11/28)
■強制休息の日々 (2007/11/27)
■『アフリカのろう者と手話の歴史』国際開発学会奨励賞を受賞 (2007/11/24)
■活け造りフィールドワークの夢 (2007/11/20)
■カメルーン日記2007 (23) 大学人再起動 (2007/11/17)
■カメルーン日記2007 (22) 厳寒のパリ (2007/11/16)
■カメルーン日記2007 (21) 空港でのお別れ (2007/11/15)
■カメルーン日記2007 (20) 打ち上げの晩に (2007/11/14)
■カメルーン日記2007 (19) 英語の手紙、フランス語の手紙 (2007/11/13)
■カメルーン日記2007 (18) どこにでもある風景 (2007/11/11)
■カメルーン日記2007 (17) 第1回ヤウンデセミナー (2007/11/10)
■カメルーン日記2007 (16) よいデータ、悪いデータ (2007/11/09)
■カメルーン日記2007 (15) 手話の中で暮らしながら (2007/11/08)
■カメルーン日記2007 (14) ネット空間から消失した国 (2007/11/07)
■カメルーン日記2007 (13) 丈夫ナ体ヲモチ (2007/11/06)
■カメルーン日記2007 (12) 久しぶりの「あんぐれ」 (2007/11/05)
■カメルーン日記2007 (11) 変わらない単純作業 (2007/11/03)
■カメルーン日記2007 (10) 停電の夜の黒人の手話 (2007/11/02)
■カメルーン日記2007 (9) マラリア薬の砂時計 (2007/11/01)


2007年11月29日 (木)

■点滴済んだもご存じない

日がな点滴を受けながら病室暮らし。少しずつ仕事を持ち込む。

赤ペンを握って膨大なゲラとにらめっこ。こういう集中力のいる仕事は、雑音の入らない環境でぶっ続けでやってしまうに限る。

さて一段落。…おお。気付いたら、点滴の容器は空っぽ、パイプに空気が通り、液圧が下がって血液がパイプを逆流しているではないか。

(♪ピンポーン)
「すいません(汗)、点滴がとうに終わっていました」
「ハーイ」

「芋の煮えたもご存じない」という古いことばがあったけれど、私の場合は「点滴済んだもご存じない」。仕事にいったんはまったら抜け出せない、私の性(さが)である。

おかげさまで、すっかりよくなりました。


2007年11月28日 (水)

■看護師と人類学者

病院でも、つい人びとを観察してしまうのが、悪い癖。

「あら、○度。熱がまた上がってますねえ…」
「血液検査ですが、○○値は下がってましたから。大丈夫ですよ」

看護師が説明するデータには、いつもよいか/悪いかの判断が伴っている。これはたいへんおもしろいことに思えた。

社会調査では、回答者の前でデータについていちいちよし悪しを述べるなど、御法度だ。自分の仮説に沿った都合のいい回答を引き出したりする「誘導」になってしまうからだ。

もっとも、医療の場合は目的が決まっているから、どんなデータにもよし悪しの意味がつきまとうのだろう。逆に、看護師さんの説明が

「○度です。」

の一言で終わっていたら、こんどは「冷たくて人間味がない」などと批判されてしまうにちがいない。だから、職種により違っていていいのです(でもおもしろいと思う)。


2007年11月27日 (火)

■強制休息の日々

運動神経がないくせにけっこう丈夫、というのが売りだったのですが。

今週のはじめから、近年まれに見る体の不調を覚え、強制的に休息を取ることとなりました。とりあえずマラリアではなかったので、ご報告いたします。

予定の変更などで各位にごめんどうをおかけいたしますこと、深くおわびもうしあげます。じきに復活しますので、必ずやうめあわせをさせていただきたく存じます。


2007年11月24日 (土)

■『アフリカのろう者と手話の歴史』国際開発学会奨励賞を受賞

拙著『アフリカのろう者と手話の歴史』が、2007年度国際開発学会奨励賞を受賞しました。まことに名誉なことです。関係各位にあつくお礼申し上げます。

「え、アフリカの、手話ですか?」

(なぜそんな研究を?)というようなまなざしに出会うこともありましたが、がんこにやっていればいいこともあるんだなと思った一日です。

アフリカのろう者たちの活躍の軌跡が、「当事者中心の国際開発」のよきモデルとして知られるようになるならば、紹介者としてこれほどうれしいことはありません。そして願わくは、世界各地の手話が言語としての存在感を増すことに、多少なりとも寄与できますように。

私を鍛えてくださいましたアフリカの、そして世界のろう者のみなさま。これまでのご協力に対し、あらためて感謝を申し上げます。

[詳細はこちら]


2007年11月20日 (火)

■活け造りフィールドワークの夢

フィールドワークで、データを10取る時間があったとしましょう。あなたはどのようにその時間を使いますか。

(a) 10の時間、すべてをデータ取りに使う。
 ■■■■■■■■■■

(b) 取るデータを5くらいに抑えて、残りの時間をデータの整理に使う。
 ■■■■■□□□□□

(c) データ取りを3まで抑え、データ整理も済ませ、さらに文章も書き、論文を完成させてしまう。
 ■■■□□□○○○◎

10年前に調査を始めた頃は (a) だった。ところが、未整理データの山を抱えて帰っても、後でぜんぜん使いものにならないということを知り、次第に (b) に移行した。魚を釣ったら、すぐにさばいて下ごしらえを済ませてしまうのだ。そうすれば、食べたい時にすぐ調理にかかれるでしょう。

私の理想は (c)。その場で新鮮な素材をいただいてしまう、名付けて「活け造りフィールドワーク」。使えないデータを多くため込んで腐らせるよりも、少量の厳選素材を旬でいただく方が、実はいい作品になる。

去年、初めて (c) に近い芸当をやってのけたことがある。さすがに疲れたのでとても毎回はできないけれど、いずれは (b) から (c) に移行するのが目標です。


2007年11月17日 (土)

■カメルーン日記2007 (23) 大学人再起動

着陸、そして日本に入国。頭と生活のスイッチを切り替える。

言語を日本語と日本手話に切り替える。通貨を日本円に切り替える。タイムゾーンをグリニッジ+9に合わせる。そして、手帳を取り替える。

手帳の取り替えは、私にとってかなり重大なこと。カメルーンで使っていたフィールドノートにピリオドを打ち、いつものスケジュール手帳に戻ることは、熱帯アフリカのフィールドワークから、細かい時間で刻まれている日本の諸業務に戻ること。

「研究に打ち込める(それ以外のことを忘れられる)」と実感できる時間が多いほど、調査は成功なのだと思う。そして、幸い今回はそういう時間が多かった感じがしている。

さて、大学人再起動。今日から厚着をして、日本社会への、そして大学への再適応にはげみます。

→ [おわり]


2007年11月16日 (金)

■カメルーン日記2007 (22) 厳寒のパリ

「当機はまもなくパリに着陸します。現地気温はマイナス2度」

しまった、どうしよう。

今回も、カメルーンの友人が記念に手製の服をくれた。最近の私の慣習として、いただいたアフリカの服をお別れの日に着て、写真を撮ってから空港に向かう。

熱帯ではほどよく涼しい半そでの服のまま、厳寒の未明のパリに降り立った。寒い、寒い。コートを着た人びとが行きかう中、ひとりアフリカのカラフルな服で空港に立ちすくむ。

思い起こせば、人類とはアフリカ原産の動物だ。そもそも熱帯で暮らすように体ができている。わざわざこんな寒い所に住む方がまちがっているように思えた。

数万年前に歩いてアフリカを出ていった先祖たちに恨み節をこぼしながら、えーと重ね着する服をどこにしまったっけ、としばし戸惑ったのであった。

[つづく]


2007年11月15日 (木)

■カメルーン日記2007 (21) 空港でのお別れ

お別れの日。今回は、まぎわになってあれもこれも…という往生ぎわの悪い調査はしなかったので、理想的な余裕の旅立ちとなった。

あいさつも荷造りも記念写真もお礼のプレゼント贈呈も全部すませ、さらに時間があまったので、PCを開いてデータ整理までやってしまった。うん、かくありたいものだ。

空港まで見送りに来てくれた友人たちに再会を約束して、お別れ。空港の待合室で暇だったので、撮りためたビデオを再生し、時間つぶしに眺めていた。

本人たちとは空港でお別れだが、その姿と言語をとどめた映像だけは連れて帰る。遠い世界で加工され、論文やデータベースなどになる。もちろん、それは当の本人たちと成果を分かちあうために行っているんだと思ってはいるものの、研究とは変な商売だなあと思う。こんなふうに行き来することを続け、ネタの運び屋さんを続けているのだから。

カメルーンの夜景を下に見ながら急上昇。サハラ砂漠をこえて、パリへと向かう。

[つづく]


2007年11月14日 (水)

■カメルーン日記2007 (20) 打ち上げの晩に

実質的な調査の最終日。最後の一仕事を終えた後、共同研究者のろう者たちと打ち上げでレストランに行った。

今回の成果を祝いつつ、今後の研究協力のために乾杯! と、そこで停電。またもや、闇夜のろうそく懇談会になった。冷蔵庫が働いているうちに店に入ってよかったわ。そうでなければ、ビールを飲みに来た意味がない。

調査終了の記念に、日本の絵はがきに謝意のメッセージを書いて手渡した。

「メルシー。でも、ここのフランス語のつづりがまちがってる」

まったく、がんこなやつだ。最後だというのに、かっこうがつかないではないか。

こういう几帳面な共同研究者にめぐりあえたのは、調査者として何よりも幸福なことなのだろう。性格が研究に向く人と向かない人がいる、というのは日本の大学にいても思うけれど、肩書きに関わらず有能な研究者タイプの逸材に、フィールドで出会うことがある。そういう人たちに、今回の調査も支えられた。

その出会いに感謝しつつ、とりあえず絵はがきの誤字は黒く塗りつぶし、訂正して渡した。くやしくもありがたい、打ち上げの晩の一幕。

[つづく]


2007年11月13日 (火)

■カメルーン日記2007 (19) 英語の手紙、フランス語の手紙

出国を間近にひかえ、いっしょうけんめい手紙を書いている。

今回の滞在で会えなかったこちらの友人知人に、あいさつをしておかなければ。ごめん、今回は時間が限られていて会いに行けなかったけれど、前回の時の写真を送りますから。と、そんな感じで。

カメルーンは英仏2言語併用の国。英語圏の友人には英語で、フランス語圏の友人にはフランス語で書く。両言語がお互い張り合っているところもあるから、「カメイはどっちの味方だ?」などとつまらぬ詮索を受けないためにも、完璧に相手の言語で通す根性がいる。相手によって「Cameroon(英語表記)」と書くか「Cameroun(仏語表記)」と書くかまで、いちおう気を使っている。

でぃあみすたーしぇーるむっしゅう、はろーぼんじゅーる。
しんしありーゆあーず、めさんちまんぢすたんげ。

はあ。辞書を2冊使って、5通の手紙を書き上げた。

八方美人のコウモリだと言われてもいい。努力でつなぎとめられる信頼関係があるのなら、いくらでも労力を払おうではありませんか。

[つづく]


2007年11月11日 (日)

■カメルーン日記2007 (18) どこにでもある風景

どこにでもある風景。

ろう者が集まると延々とおしゃべり。手話だけの花が咲く。

ろう者になじみがない聴者は、その集まりに入れない。周辺で、声でぼそぼそ。

ろう者の家族や近所の聴者。声では通じないと分かっているから、いつもの身ぶり。ろう者もそれに合わせ、手話ではなく大げさな身ぶりで応える。

手話を少し学習した聴者。声がもれて、ぱきぱきの音声言語対応手話になっている。ろう者は(手話があるだけマシな人)と歓迎、その話につき合う。

手話のベテランの聴者。ろう者と同じように声はなく、手話だけの談笑が続く。ろう者に一目置かれていて、お呼びもかかる。

以上、カメルーンで見た光景です。音声言語も手話もまったく異なるし、食物も気候も慣習も宗教もまるで違うのに、日本で見かけるろう者や聴者の姿とうり二つ。

思わず「人類の普遍性」に想像をはせるひと時です。

[つづく]


2007年11月10日 (土)

■カメルーン日記2007 (17) 第1回ヤウンデセミナー

「第1回ヤウンデセミナー」で発表した。

ここ、カメルーンの首都ヤウンデには、大使館関係、JICA関係、そして大学の研究者たちと、日本人が常時滞在している。それぞれカメルーンという地域に深く関わりながら、職種も目的も異なるため、お互いのことをあまり知らない。

K「気楽に集まって、セミナーとかやりたいよねえ」
私「じゃあ、やろうか」

日本大使館勤務のKさんの思いつきと、私のうなづきで、「第1回ヤウンデセミナー」が開催されることが決まった。

セミナーといっても、土曜の昼下がりのランチをかねたスライド上映会。自分の調査の成果を、異業種の人たちと分かちあうのは楽しいことだ。「こんな世界のこと、初めて聞きましたよ」という感想もあり、話題提供者の私としては十分に報われた。

名誉ある第1回目の発表者となったことを誇りに思いつつ。職種や業界を背負わない気楽な地域情報の交換会として、末永く続くことを期待しています。主催者のKさん、どうもありがとう。

[つづく]


2007年11月9日 (金)

■カメルーン日記2007 (16) よいデータ、悪いデータ

フィールドワーカーの仕事は、データを集めること。

もちろん、それ以外のもろもろの行為やまきこまれがあって、その全体がフィールドワークなのだけれど、少なくともデータがなければ商売にならない。

ただ、現地滞在で得た情報がすべて価値あるものとはかぎらない。日の目を見るのは、ごく一握りといっていい。

よいデータとは何だろう。それは、その情報を得ながらにしてすでに完成品(論文や本など)のイメージが見えるもの。あ、このネタはこういう文章/写真/図にして料理してやろう、しめしめ。そう感じたネタは、必ず生きる。

悪いデータとは何だろう。その情報を得たときから「とりあえず聞いといて後で考えるか…」という先延ばしのにおいがするもの。リアルタイムですでに後回しにしたがっているのだから、後日になって記憶が薄れた時に使えようはずもない。

よいデータだけ集めて、生産的な調査者として帰りたい。いつもそう思いながら、ついつい「とりあえずデータ」ばかりためこんで時間を食っている。フィールドワークのスリム化は、ほんとうに難しい。

[つづく]


2007年11月8日 (木)

■カメルーン日記2007 (15) 手話の中で暮らしながら

あいかわらず、手話の中で暮らしている。

日々一緒に仕事をする人も、気晴らしのおしゃべりの集まりも、だいたいろう者。手話の中に軸足を置いて暮らしていると、それがマイノリティであることを忘れそうになることがある。

(そうか、この手話が分からない人びとが世の中には多いのか)
(手話が分からないから、この人たちのことを「ことばに不自由な人たち」などと思うのかも)

少なくともろう者に言語障害はないので、その集団に入ってしまえば、手話で話すのは特別なことでなく空気のようなことになる。

「手話という言語の世界がありまして…」などというのは、もはや研究として何の新味もないことなのだろう。調査でその言語を使いながら、次にどんな成果を出せるかが問われている。

カメルーンの調査は4回目。通算で2年ほどの滞在になるだろうか。「ブラン(*)が手話を覚えたぞ」と珍しがられる時期はとうにすぎた。耳が聞こえることもたいして気にされなくなってきた。むしろ、この土地の手話を話す一人として何をするの?何ができるの?という求めと期待が、ふつうに投げかけられてくる。共に未来を望むような話題も、ぽんぽんと飛び出す。

苦節10年。ようやく対等に近くなってきたのかなとも思う。

(*)ブラン(blanc)=白人。黒人でない人びとの総称で、日本人の私もしばしばブランと呼ばれる。

[つづく]


2007年11月7日 (水)

■カメルーン日記2007 (14) ネット空間から消失した国

今週の前半、「カメルーンの全土でインターネットが通じなくなる」という事態が起こった。

原因はよく分からない。海底ケーブルがどうかなってしまったという情報もあったが、実際はどうなんだろう。

もっとも、ふだんからそんなに迅速で便利なわけでもないから、2-3日メールやウェブが不通になったところで、生活はさほど変わらない。ビジネスをしている人たちは、たいへん困っただろうけれども。

インターネットで成り立っているリアリティの空間があるとすれば、この何日間か、カメルーンという国は世界から忽然と消えてしまったことになる。空のどこかに姿をくらましてしまったラピュタ王国のように。

実際は? 私たちはいつものように熱帯の日差しをあび、バナナを食べ、友人たちと仕事をし、早寝早起きをして暮らしていた。

世界は「カメルーンの消失」を心配していたのだろうか。渦中にいた私たちには、よく分からないのである。

[つづく]


2007年11月6日 (火)

■カメルーン日記2007 (13) 丈夫ナ体ヲモチ

「亀井さんは丈夫ですね」

日本のある大学教員の方から言われたことがある。え、いったいどこが??と思ったものだ。子どもの頃から体育の成績はいつも5段階の「3」だったし、スポーツよりも本を読んでいる方が好きだったような人なんですけど。

「でも、何だかんだ言ってアフリカで長期調査して、たんたんと仕事して。やっぱり丈夫なんですよ」

う…ん。そう言われると、そうかもしれない。瞬発力も運動神経もまったくないけれど、どんな境遇でもまあまあ適応して、何でも食べてだれとでもしゃべって、大病もせず悩みもせずに仕事を済ませ、けろっと帰ってくる。そういう意味では、持久力だけはあるのかも。

友「タクシーで行く? 歩いていく?」
私「天気もいいし、歩いていこう」

気づかうカメルーンの友人をよそに、町を行く人びとを眺めながら、てくてくと1時間でも歩いて出かける。疲れたら、水を浴びて早寝したらいい。そうすれば、夜明けとともに気持ちよく目覚めることができるから。

丈夫ナ体ヲモチ 欲ハナク イツモ静カニ笑ッテイル

そう、フィールドワーカーは、それが一番なのだと思います。ぼつぼつとね。

[つづく]


2007年11月5日 (月)

■カメルーン日記2007 (12) 久しぶりの「あんぐれ」

フランス語漬けの日々です。去年は英語圏の国ばかり訪れていたので、朝から晩まで毎日フランス語で暮らすのは久しぶり。

聴者としゃべるときはもちろん、ろう者と手話でしゃべるときもフランス語の素養は必須。調査するならなおさら不可欠。そういう世界で暮らしている。眼を閉じても、「...ez」、「...eaux」、「...ment」、「...eur」、フランス語特有の文字列が脳裏をよぎる。

さて、必要あって、半日だけ英語の文章を書く仕事をした。なんと楽な言語なんだろう!と思った。

ふだんの暮らし:日本語の世界から英語に入ると、たいへんめんどうに思える
ここでの暮らし:フランス語の世界から英語に入ると、たいへん楽に思える

水も人も楽な方に流れると言うけれど、ほんとそんな感じ。久しぶりに使った英語が、楽しく感じられた。

英語がおっくうだと思う方は、それ以上に苦手な言語の世界に引っ越すといいかもしれません。英語を使うことが、すばらしく楽なことに思えるだろうから。

※英語のことを、フランス語で「あんぐれ(anglais)」といいます。

[つづく]


2007年11月3日 (土)

■カメルーン日記2007 (11) 変わらない単純作業

今回初めて、ハードディスク内蔵のビデオカメラを使っている。

デジタルビデオが出た時は、おーすごい、と思ったが、あっという間にテープの要らないビデオの時代がきてしまった。ちょこちょこ試し撮りして、要らないデータはさっさと削除できるからムダがない。テープの「一次元のライン」に拘束されないのは、確かに楽である。

でも、ちっとも変わらないのは「撮りためたらたいへんなことになる」ということ。

動画は便利だなあ!とばかりにあれこれ撮ってみたところで、それをきちんと見直して文字にして論文を書かなければ、何の意味もないのだ。

撮影した映像を見ながら、一つずつ整理を始める。何かを創ろうとするとき、技術革新で確かに楽になる面もあるけれど、研究の中のこういう単純作業は、どんなカメラになったところであまり変わらないものであるらしい。

[つづく]


2007年11月2日 (金)

■カメルーン日記2007 (10) 停電の夜の黒人の手話

停電だ。

昼間の停電は、どうということもない。日が暮れると、やはり少し困る。手話が見えなくなるから。

ろうそくを灯して、話を続ける。でもね、暗闇の中の黒人のろう者たちの手話って、本当に見えないですよ。

暗闇で平気でしゃべり続ける当地のろう者たち。うん。これも忘れがたい、アフリカろう者の風景のひとつ。

[つづく]


2007年11月1日 (木)

■カメルーン日記2007 (9) マラリア薬の砂時計

マラリア予防薬を毎朝1錠ずつ飲んでいる。

ほんまに効くんかいな、という気もしないでもない。かかりたくなければ、蚊に刺されないのが一番。それでも完全な防御はできないから、「ぜったいにマラリアにかかりたくない」という人は、アフリカに来ないのがいいのかもしれない。とりあえず、この滞在で高熱は出ていない。

2週間分(14錠)がセットになったシートがある。毎日1錠ずつ減っていくから、これまで過ごした日数、これからの残り日数が見て分かる。そう、ちょうど砂時計のように。

ひとシート終わって考えた。もう2週間か。2つ目のシートが終わるころには、どんな成果が上がっているだろう。

[つづく]


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