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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2009年1月

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最終更新: 2009年1月29日
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■「京大卒の猟師」 (2009/01/29)
■文化人類学事典に「手話」 (2009/01/28)
■聞こえない子をもった歌手の嘆き (2009/01/13)
■ウェッジウッド破綻の報に接して (2009/01/12)
■手話で学ぶアフリカ入門@東京 (2009/01/11)
■「府中ろまん」から「明るい農村」へ (2009/01/08)
■先週免許状 (2009/01/06)
■専門社会調査紙 (2009/01/05)
■分離したい者と分離したくない者の衝突 (2009/01/04)
■大学研究者の福袋 (2009/01/02)
■おしぼり千鳥で謹賀新年 (2009/01/01)


2009年1月29日 (木)

■「京大卒の猟師」

朝の通勤電車内で、ぼんやりと雑誌の吊り広告を眺めていて、目をむいた。古い知人の名前が、でかでかとそこに載っていたからである。
「ロングインタビュー 京大卒の猟師 千松信也」『SPA!』(2009年2月3日号)
学会誌などで、知人の名前を見ることは珍しくない。しかし、電車の吊り広告で知り合いに出会うことはめったにない。しばらく会っていないけれど、元気そうで何よりだ。

『ぼくは猟師になった』(千松信也著, リトル・モア, 2008年) という本でブレークして、すっかり有名な猟師兼作家になっている模様。こういうふうに活躍ぶりが伝わってくるのは、おもしろいね。

ただ、何かと「京大卒」が強調されてしまうのは、本人にとって気の毒なところかな。もともと、そういうことを鼻先にぶら下げるような柄ではないので。

記事もいいけれど、本もおすすめです。以上、広報協力。


2009年1月28日 (水)

■文化人類学事典に「手話」

日本文化人類学会が編集した最新の『文化人類学事典』(2009年1月刊行, 丸善) で、「手話」が立項されました。

日本の文化人類学の事典に「手話」という項目が掲載されるのは、今回が初めて。このことを決断した編集委員会に対し、敬意を表します。

執筆を担当する機会をいただいた私は、冒頭からばっちりと「手話は言語である」と明記しました。手話に対する誤解が一刻も早く解けますように、と願いながら。

あわせて、巻末さくいんに「手話(手話言語)」「音声言語」「ろう者」「聴者(健聴者)」「ろう者コミュニティ(ろう者社会)」「ろう文化」といったことばが入りました。

文化人類学者として手話に関わり始めて、12年。たった2ページの、大きな一歩です。

手話(手話言語)とは、世界各地の耳の聞こえない人たちの集まりで話されている、手指や表情を用いた視覚的諸言語の総称である。

手話を理解するうえでもっとも重要なのは、それが文法を欠いたジェスチャーではなく、固有の文法をそなえた自然言語であることである…

(亀井伸孝. 2009.「手話」日本文化人類学会編『文化人類学事典』東京: 丸善. 502-503.)

みなさま、ぜひご参照たまわりますよう。以上、執筆担当者拝。


2009年1月13日 (火)

■聞こえない子をもった歌手の嘆き

元SPEEDメンバーの歌手である今井絵理子さんが、息子(4)が「難聴」であることをメディアに公表した。

息子が聞こえないと知った時、「神様を恨みました」(朝日新聞, 2009年1月1日)というほど落ち込んだのだという。自分の仕事が音楽で、子どもが聞こえないのだとしたら、なるほど落ち込むかもしれないね。別の世界の住人になってしまう可能性が高いから。
…ここまで、「事例1」。

『ビヨンド・サイレンス』という映画があった。これは立場が逆で、ろうの両親のもとに生まれた聞こえる娘が、音楽家になりたいと言って親父とケンカする。父親はさぞかし落ち込んだことだろう、別の世界の住人になることを娘が自ら選んでいくのだから。
…ここまで、「事例2」。

どちらも、親子が二つの文化に引き裂かれる話である。…と、この二つの事例をまとめることはできない。

理由その一。異文化への引っ越し可能性が同じではない。聴者は手話を覚えることができるが、ろう者が音楽になじむことはきわめて難しい。

理由その二。こういう対立が起こった時、マジョリティのほとんどは聞こえる方に肩入れして理解する。事例1は「お母さん、お気の毒に」、事例2は「娘にも自由があるはずだ」というふうに。事例1を「息子にも自由があるはずだ」、事例2を「お父さん、お気の毒に」と、逆に受け取る感受性のある人はどれくらいいるだろう。

今井さんは、手話を覚え始めたという。そう、異文化との出会いは悲劇ではなく、自分の可能性が何倍にも広がるチャンスなのだ。手話に出会い、ろう者の妻と暮らしている聴者の私は、率直にそう感じている。

視野が2倍に広がった暮らしの中で、新しい発見を楽しみましょう! その楽観性こそが、共存の知恵なのだと思います。


2009年1月12日 (月)

■ウェッジウッド破綻の報に接して

イギリスの名門陶磁器メーカー、ウェッジウッドが、この1月5日に破綻した。このブランドのティーカップに愛着のある方は、けっこういるのではと思う。

それにしても、よりによって今年つぶれなくても…と私は思う。

ウェッジウッド社の創業者は、ジョサイア・ウェッジウッドという陶芸家である。その娘スザンナは、父親の主治医であったエラズマス・ダーウィンの息子ロバートと結婚し、チャールズという息子を生んだ。そのチャールズは、海軍の船に乗ってガラパゴス諸島に行ったりしながら、やがて自然選択に基づく進化論を提唱して有名になった。

つまり、おちゃわん会社のウェッジウッドとは、かの進化論のチャールズ・ダーウィンの母方の家業なのである。

今年2009年は、ダーウィン生誕200年。『種の起原』(1859) 刊行150年の記念すべき年でもある。何という間の悪さ。

人類学を学んできた一学徒として、よりによって今年つぶれなくても…と私は思うのである。


2009年1月11日 (日)

■手話で学ぶアフリカ入門@東京

東京都のろう者団体の研修会で、お呼ばれ講演があった。

「いつも福祉の話が多いので、アフリカ一般の話をお願いできますか」

なんともフランクなご提案。アフリカ地域研究専門の私としては、うれしいお声がけである。

「オバマ新大統領の名前の由来は?」
「ソマリアの海賊対策が急浮上した背景って、何でしょうか」
「コンゴ産のウランが、どうして広島と長崎の原爆になったのか?」

政治、経済から、地理、歴史、文化まで。アフリカにまつわる話題いろいろを、手話でお話ししてきました。

主催者の方も「ありがとう、ろう者は知識を求めているんです」と言っていた。

ろう者は福祉に関わっていればよろしい、というのは大間違い。ろう者は、手話という言語で、森羅万象あらゆることを学ぶ人たちである。

手話学習中の聴者のみなさん。手話を学ぶだけでなく、手話で「何か別のこと」を語れるようになることを目標にしませんか。手話で源氏物語、手話で国際金融、手話で分子生物学などなど。そうなってこそ、手話をふつうの言語として使いこなすということになるのでしょう。

お招きくださり、ありがとうございました。>関係各位


2009年1月8日 (木)

■「府中ろまん」から「明るい農村」へ

アジア・アフリカ言語文化研究所を離職する同僚の送別で、夕食に行った。

開発援助の職歴をもつ彼は、地道な研究を好む人が多いこの職場では、ちょっと異色の人物であった。研究もさることながら、「現場の人びととの関わり」を何よりも重視する人である。私の研究活動の志向性とも重なるところがあって、在籍期間が重なったこの1年間、よく話をした。

近いうちにまた開発の現場に戻ることを念頭に置いた、今回の離職。彼のはなむけに、さて何を飲もうか。数ある銘柄の中から、「府中ろまん」(米焼酎、熊本)と「明るい農村」(芋焼酎、鹿児島)を選んだ。府中市にあるこの研究所から海外へ出て行き、途上国の農村で明るく活躍しよう! そんな縁起を担いで、乾杯したのである。

「府中ろまん」から「明るい農村」へ。Good luck!


2009年1月6日 (火)

■先週免許状

昨日に引き続き、誤変換ネタをもうひとつ。

私は「高等学校教諭専修免許状」というものをもっている。科目は、理科。理系の大学院を修了し、教育関係の授業を一通り取ったということで受けた免許である。今の仕事は人文・社会科学系を歩んでいるけれども、出身は理学部生物学なのである(ただしヒト Homo sapiens 研究を含む)。

わが愛機がやってくれた誤変換は、あろうことか

「高等学校教諭先週免許状」
な、なんだと。資格なんてどうせ過去のものだから、今の能力とは関係ないだなんて、そんなことがあるわけないだろう!!

…ずばり本質を突いてしまったかもしれないこの誤変換には、やはり脱力してしまった。


2009年1月5日 (月)

■専門社会調査紙

「専門社会調査士」という資格がある。仕事上要るかもなーと思って、以前取得した

さて、必要があってこの資格名を書類に書いていた時のこと。わが愛機がやってくれた誤変換は

「専門社会調査紙」
な、なんだと。資格なんてどうせ紙切れでしかないだなんて、そんなことがあるわけないだろう!!

…ずばり本質を突いてしまったかもしれないこの誤変換には、何とも脱力してしまった。


2009年1月4日 (日)

■分離したい者と分離したくない者の衝突

米黒人活動家のマルコムXが、白人至上主義団体のKKKと会っていたというエピソードが忘れられない。「分離したい者」どうしであったら、あんがい意気投合してしまうこともあるのかもしれない(マルコムは、後にこのことを反省しているけれど)。

立場が食い違うと、悲劇が起こる。分離を望んだ米南部連邦と、それを認めないリンカーン率いる北部合衆国政府は、壮絶な南北戦争を引き起こした。分離を望んだビアフラ共和国と、それを認めないナイジェリア連邦政府も、やはり悲惨なビアフラ戦争を経験した。「分離したい者」と「分離したくない者」が鉢合わせになると、たいへんな衝突になる。

南アフリカのアパルトヘイト体制下のこと。黒人たちを分離させたい白人政権と、分離政策に乗ってある種の権益を得た黒人たちと、最後まで分離を望まなかった黒人たち。三つどもえの政争と暴力的な応酬の時代があった。

オバマ次期米大統領は、黒人としての個性を全面に出しながら、あくまでも全米の統合を訴えて当選した。分離と統合をめぐる政治、文化、そして思想は、私の心と思索をとらえてやまない。

今日、何人かの人たちとレストランに行った。席を分けよう、いや、分ける必要はない…。何とも見苦しい事態に直面した。分離と統合をめぐる、対岸の火事ではないできごと。差別や排除の問題をひとごととして語ってしまう「評論家」には決してならないためにも。「苦い肝」として、この日記に印を刻んでおきます。


2009年1月2日 (金)

■大学研究者の福袋

正月、福袋商戦まっさかり。デパートやスーパー、近所の電気屋や菓子屋まで、袋に在庫品を詰め合わせて安売りに励んでいる。

さて、これに乗じて、提言をひとつ。「大学の研究者も福袋を売りましょう!」

…といっても、いったい何を詰めて売ればよいものか。自分のポケットをひっくり返して考える。

(1)「拙著の詰め合わせ福袋」
去年1年間に刊行された本を、4冊詰め合わせで大バーゲン! 買ってくださる方はいらっしゃるでしょうか。

(2)「論文の別刷り福袋」
去年印刷された論文やエッセイのセット、保存版! お代は要りませんから、どうかもらってやってください。

(3)「出張講義チケット10枚福袋」
1枚ずつ、10回のご利用でもいいですし、10枚まとめて集中講義という形でもご利用いただけます。今なら、10枚綴りにおまけが1枚!

みなさまに買っていただけるような、すてきな知識を作りたいものです。今年もがんばろ。


2009年1月1日 (木)

■おしぼり千鳥で謹賀新年

おしぼり千鳥 (作・秋山なみ) 2009年。新年明けましておめでとうございます。

今年のお正月のごあいさつは、こちらの千鳥とともに(写真 作・秋山なみ)。

昨日、つまり2008年の大晦日、大掃除で疲れきった私ども夫婦は、ちょっと気晴らしにと近所の居酒屋に行った。そこで、私のつれあいがおしぼりを丸めてささっと作ったのが、この作品である。

街で配っていたフリーペーパーに、これの作り方が載っていたのだという。携帯で写真を撮り、加工して、できた!とこの写真をくれた。うまいよね、正月からわが妻のことをのろけさせていただきます(笑)。

景気が冷え込み、消費が進まない昨今の世相だそうだけれど。なにもお金をやたら使うことだけが、幸福というわけでもあるまい。ちょっとした得意技と手仕事で楽しめることは、いっぱいあるはずだ。この正月(正確にはその前日から)、おしぼり千鳥を見ながら考えた。

「ブリコラージュ復権!」(*)をテーマに、今年も革新的な知識生産のため、ぼつぼつと書いたり話したりの手仕事に励んでまいります。みなさま、本年もどうかよろしくお願いいたします。

(*)「ブリコラージュ」 (仏 bricolage)
= 器用仕事。フランスの構造主義人類学者クロード・レヴィ=ストロースが主著『野生の思考』(La pansée sauvage) で用いたことば。近代の「栽培された思考」と対比させつつ、「未開」と見なされてきた知のあり方に光を当てた。



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