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発表要旨
最終更新: 2008年2月25日

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関学COEワークショップ「多文化と幸せ」
2007年3月12日

「『農村開発』の担い手としての研究者の可能性について: タンザニアにおけるフィールド・ワークの事例から」
黒崎 龍悟(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

#「実践」を標榜しないフィールド・ワークをおこなう研究者がどのようにして「農村開発」という「実践」と関わることができるのかについて議論する。

キーワード:農村開発、「実践」、民族誌的記述、質的評価


■発表の要旨
本発表が対象とするタンザニアでは1980年代後半の構造調整政策期以降、国際機関の影響を強く受けたさまざまな開発政策が実施されてきた。そのため、今日では研究者がフィールドで開発の場面に遭遇することは日常的なものとなっており、そこでは対象社会への意識的な「実践」を志向しない研究者も開発の場に関与せざるを得ない状況に立たされる可能性が高くなる。また、これまで開発の実践者や研究者のあいだには明確な境界が存在していたかのようにとらえられてきたが、近年では、フィールドの人々との関わり合いという意味においては、両者の境界は必ずしも明確なものではないとの認識が高まりつつある。このことをふまえて本発表では、調査・研究に取り組みつつ、より積極的に「実践」と向き合っていく可能性について研究者の立場から検討することを目的とする。

発表者は青年海外協力隊員としてタンザニア南部における住民参加型農村開発プロジェクトに関わった後、現在まで同地域を対象にした調査・研究に従事している。実践者から研究者への立場の変化にともない、対象社会をとらえる視点は、すべての現象を開発の文脈へと収斂させるものから、人々の日常の文脈における開発をとらえるというものへと変化した。そして、農村開発の評価には、開発事業立案側が重視する従来の統計的手法に依拠するよりも、対象社会の実態を多面的にとらえた民族誌的記述を蓄積させていくことが必要であると認識していった。

開発の理念は、その基本方針が経済開発から社会開発へとシフトし、近年では人々の生活を包括的にとらえようとする視点や、開発の過程を重視する傾向がある。これらはフィールド・ワークの参与観察の考え方と近接している。また、研究者がフィールド・ワークの合間におこなう対象社会へのささやかな貢献を目的とした小規模な「実践」(e.g. 新しい作物の種を提供する)のありかたは、農村開発の手法において重視されている「住民参加型農村調査法」や「学びあい」といった手続きに近いものであるとも考えられる。したがって、これまで「実践」を積極的に意識してこなかった研究者も、開発の実践者や事業立案者と対話をするための経験を有しているのではないかと考える。従来の地域を総合的に理解しようとするフィールド・ワークにもとづきつつ、小規模の「実践」や開発の現象を意識的に記述していくことで、研究者はより「実践」と向き合うことができるのではないだろうか。


■発表へのコメント
報告者は、青年海外協力隊員としてタンザニアの村落開発に赴き、その後同じ場所に、研究者として舞い戻ったというユニークな経歴を有している。本報告では、協力隊員として、そして研究者として、異なる立場で住民参加型農村開発プロジェクトに参与された経験から、研究者がより積極的に「実践」と向き合っていく可能性について検討された。

そもそも「実践」を標榜しないでフィールド・ワークを開始したにもかかわらず、「実践」に巻き込まれてしまった経験を有している研究者は、多数おられると思う。私自身も、長期参与観察の中で、対象地のカメラ係、運び屋、インフォーマントへのデータの提供・共有など、意識的ではなかったにしろ、経験してきた。

開発の理念が、経済指標中心のものから、生活を包括的に捉えようとする視点へとシフトしつつある今、こうした研究者たちの小規模な「実践」を、単なるフィールド・ワークを快適にするための技法としてだけではなく、農村開発の手法としても積極的に評価することができるという点は、非常に説得力を持った指摘であった。

質問として、大きく異なった立場に身をおきながら、同じフィールドに通い続けることに対する研究者の戸惑いについて2点補足説明をお願いした。

一点目は、「小規模な実践」の定義と、その「実践」との具体的な相違点。
二点目は、立場が大きく変わるなかでの「変わらない部分」、である。

一点目の回答として、小規模な実践は、敢えて大きく掲げるのではなく、「サイドワーク」に据え置くことができるという回答を得た。二点目に関しては、やはり通常の人間づきあいは続いていて、調査地の人々も報告者の立場が異なっていることを理解したうえで受け入れてくれていた、という旨の回答を頂いた。

対象地との関わりを長期で続ける場合、最初は学生として入っていたのに、途中で教職者になったり、団体の一員になったり、短期プロジェクトを持ってきたりと、同じ対象地とかかわるのに立場が変わることも、多くの研究者が経験し得る状況であろう。しかしながら、その中で、人間付き合いなど、個人の立場だけに規定されない、柔軟なかかわり方もあるだろう。

「サイドワーク」と「本業」が入れ替わり得るなか、また研究者としての「本業」の範囲・境界が曖昧になるなか、いかに研究者が自身と調査者との距離感を自覚しながら/しないでかかわりを続けていく事ができるのだろうか。報告者が今後小規模な実践について意識的に向き合い続けていかれること、またその中での新たな発見を、楽しみに致しております。

コメンテータ: 中川 加奈子(関西学院大学社会学研究科博士後期課程)


■セッション司会者によるコメント
※セッション3「関与と協働のエスノグラフィー」(黒崎氏の報告吉野氏の報告および白石氏の報告を含む)全体に対するコメントです。

研究者が途上国の「開発」の実践にかかわることはもはや珍しいことではない。「研究か実践か」を問うことよりも、むしろ考えなければならないのは、人類学や社会学が得意とするフィールドワークという手法によって明らかにされてきたことや、構築されてきた理論が「開発」実践にどのように寄与できるのかについてだろう。本セッションの3名の報告者はいずれもこの課題に言及し持論を展開していた。たとえば、黒崎さん(京都大学)は開発における民族誌的記述や「小さな実践」の有効性について、吉野さん(関西学院大学)は実践に携わりつつ参与観察で評価をおこなう方法や、ステークホルダーのWin-Win関係の構築について、白石さん(京都大学)は民族誌などをもとにした中範囲理論の模索や政治的リテラシーについて、などである。

それに対してコメンテーターやフロアからは数量的な評価指標の代替案や、対象との関わり方に関する質問・意見などが出され、活発に議論された。時間の都合上、議論にはならなかったが、各発表者によって述べられた「幸せなフィールド」と「バトルフィールド」、「対象者との関係のつくり方によるアウトプットの変化」、「かかわりの中での調査者/実践者自身の成長や変化」は、開発実践を考える上で重要な問題を指摘していると思われる。かかわりの時間軸の設定や現場の特異性、それにもとづいた「評価」をこれまでの開発実践はどのように考え、実施してきたのか、それに対してフィールドワークを得意とする研究者は新たに何を提示していけるのか、についてあらためて考えさせられた。個々の研究を深化さていくことはもちろん大切だが、事例を比較対照することで新たな視点が加わることを再確認できたセッションだったと思う。

司会: 西崎 伸子(福島大学)


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