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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2009年6月

日本語 / English / Français
最終更新: 2009年6月28日
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■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』刊行! (2009/06/28)
■卵と壁とことば遊び (2009/06/27)
■カタコト日本語の国、数学の国 (2009/06/26)
■『広辞苑』と『日本語-手話辞典』 (2009/06/25)
■Anthropology of engagement (2009/06/21)
■「太陽の塔」はどっち向きに顔をしかめているか (2009/06/20)
■パーティ出席、ゼロ人 (2009/06/18)
■歯車としての著者 (2009/06/12)
■荒涼の校了、寂寥の責了 (2009/06/10)
■夜ふかしの共同研究者たち (2009/06/09)
■「一般向けの本」という片思い (2009/06/07)
■3週連続で学会で会った知人 (2009/06/06)
■第二の天職、校閲 (2009/06/03)
■昭和堂『遊びの人類学ことはじめ』校了 (2009/06/02)
■岩波ジュニア『手話の世界を訪ねよう』校了 (2009/06/01)


2009年6月28日 (日)

■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』刊行!

手話の世界を訪ねよう@梅田紀伊國屋 岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』が、19日に全国でいっせい発売となりました。ここまでこぎつけることができたのも、岩波書店ならびに世界中のろう者のみなさまのお力添えのおかげです。ありがとうございます。

出張先で立ち寄った、大阪・梅田の紀伊國屋書店では、もっとも目立つ「フェア台」の最上段に並べていただきました。もちろん、こんな檜舞台にのせていただける栄誉は、拙著として初めてのことです。しかも、おとな向けの赤い新書よりも、ジュニア新書たちが上位にありますね。ふふふ(いえ、深い意味はありません)。

おや、さっそく手に取って、立ち読みしてくださる方がいます。「さあ、買いなさい、買いなさい…」と念波を送りながら、おじゃまにならないよう静かにその場を立ち去ります。もちろん、すぐ隣に著者がいたという事実を、ご本人は知りません。

新書のすごいところは、反応がおそろしく早いこと。「買いました」「読みました」「おもしろかったよ」。数日のうちに、過去形のコメントが届き始めた。学術書であれば、「探してみますね」「これから読んでみます」「おもしろそう」という未来の約束のことばが多いのだけれど。

本は、軽く短く安いことだけがいいとは限らない。しかし、軽く短く安い新書ならではの特長というものは、明らかにある。それを効果的に活かしていくのも、研究者としての大切な役割なのだろうと実感した。

イラスト満載、かみくだいた日本語で、ひたすら読みやすさ第一で作った本です。中学生以上のすべてのみなさま、どうぞお手に取っていただきましたら幸いに存じます。以上、執筆者拝。


2009年6月27日 (土)

■卵と壁とことば遊び

「もしも高く固い壁と、それにぶつかって壊れてしまう卵があったら、私はつねに卵の側に立ちます」
(Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.)

村上春樹の、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式での記念講演の一節である(2009年2月15日)。

かっこいいですね。こういうかっこよすぎることばは、いじって遊びたくなります。

(1) 卵どうしもぶつかる編
「もしも固いゆで卵と、それにぶつかって壊れてしまう生卵があったら、私はつねに生卵の側に立ちます」

(2) 壁だってつらいよ編
「もしも固いダチョウの卵と、それをぶつけられて壊れてしまうヤワな壁があったら、私はつねに壁の側に立ちます」

(3) 仲裁は時の氏神編
「もしも高く固い壁と、それにぶつかって壊れてしまう卵があったら、私はとりあえず間にはさまるクッションになります」

(4) お客様相談係編
「もしも固いパックにぶつかって壊れてしまった卵があったら、当店にお持ちください。すぐにお取り替えいたします」

(5) この人も卵を壊したよ編
「もしもゆで卵の殻の一部を壊して勝ち誇るコロンブスがいたら、私はつねに卵の側に立ちます」

(6) フィールドワークをしよう編
「もしも私が卵の側に立ちたいと思ったら、まず自分で卵のパックに入り、参与観察をしようと思います」

(7) 卵のホンネ編
「もしも卵の側に立つという知識人がやって来たら? すり寄るだけで満足するなよ、自分に実際何ができるか考えてやってみな(お手並み拝見)」


2009年6月26日 (金)

■カタコト日本語の国、数学の国

不思議な一日。東京都内にいながら、多言語のフィールドをあわただしく駆け回った気分である。

昼は「カタコト日本語の国」を訪問。勤務先の大学の留学生たちのクラスにおじゃまして、少しお手伝い、異文化理解のお話をする機会があった。みんな来日直後で、出身国も母語もバラバラの学生たち。

「コンチニハー」「うん、たぶん」「はーい!」

片言の日本語を英語に混ぜ込んだ、不思議な共通言語のみなさんとのひとときをすごす。こっちも、日英のチャンポンで気楽にできる楽しさがあった。「だれひとりネイティブである必要がない多言語社会」、こういう気軽さは好きである。

晩は「数学の国」を訪問。ある研究プロジェクトの一環で、数学者たちのコミュニケーションを参与観察しようという試みがあり、数学に関わった経歴がちょっとある人類学者2人で、若手数学者たちと懇談した。

テンソル積だの非可換環だのといった、私の理解を越えた議論が続くなかで、「きれいですね」「繊細だ」「いじってみる」「だいじょうぶ」「ポコッ」「パタン」、なんとも豊かな日本語のボキャブラリーが混ざり込む。

数学者の視線とジェスチャー、関数や文字列を見たときにこみ上げる笑い、盲の数学者の身体経験と表現などなど、なんなんだこりゃというカルチャーの世界。くめどもつきぬ良質の泉に出会った気分である。たった2時間の懇談に熱中し、終わったらどっと疲れるという、不思議な旅だった。

おもしろいことは、いくらでもありますね。文化人類学をなりわいにしていてよかった、と思えた一日です。


2009年6月25日 (木)

■『広辞苑』と『日本語-手話辞典』

2冊の辞書 『広辞苑』。岩波書店が刊行している、日本の代表的な国語辞典。

『日本語-手話辞典』。全日本ろうあ連盟が刊行している、日本最大の手話辞典。

私は、今春のある時期、大学の図書館にこもって毎日このふたつの辞書を机に並べ、両方からエネルギーをもらうことを念じながら、ぶっ続けで原稿書きの仕事をしていた。先週の金曜日発売となった、岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』である。

『広辞苑』は、2008年刊行の第6版で初めて、「手話」は文法をそなえたろう者の言語であると明記した。それが画期的なできごとであったのは言うまでもない。この国語辞典の達成と、ろう者団体による営々たる知識の蓄積が出会ったところに、この新書が生まれた。

(ろう者たちの知識資源の蓄積の営みが、聞こえる人たちの一般常識のなかで、正当に認知されますように)
(私も、その側面支援ができる研究者のひとりでありたい)

ふたつの辞典をいつも手元に置いていたのは、原稿を書くために必要だったからだけではない。自分の研究者としての姿勢を一般社会へと向けさせるための、心強いお守りであり、お手本でもあった(長らくどちらも独占してしまい、東京外大の学生のみなさん、すみませんでした)。

もうひとつの驚きとは、なんとこのふたつの辞典は、厚さと大きさがまったく同じなのである。両方とも持っている方は、ぜひ並べて置いてみてください。目をつぶって触ってみたら、ほんとうにどっちがどっちだか分かりません。まさに、奇遇とはこのこと。

そういう意味でも、不思議なご縁のある2冊の辞典だなあと思ったしだいです。


2009年6月21日 (日)

■Anthropology of engagement

民博で開かれた、「応用人類学」のワークショップに参加した。先住民アボリジニと深い関わりをもってきた、オーストラリアの応用人類学者2人を囲む小研究会である。

今回のうれしい拾い物キーワードは、"anthropology of engagement" (by Dr. David F. Martin, Director, Anthropos Consulting Services, Australia)。

「婚約の人類学」ではないですよ。「関与の人類学」あるいは「参加の人類学」とでも言えるでしょうか。それも、もういやおうなく関わることになっているという現実感が伴っている。異文化理解と他者との関与が、どこか遠くの旅物語ではなく、先住民と非先住民が共存する日常生活のなかに常にあるというオーストラリアという空間が、このようなことばを醸し出したのでしょうか。

「あなたは academic(学術的)ですね」というのが、ぜんぜんほめことばにならないオーストラリアのカルチャーにも驚いた。人類学も、ほんといろいろです。

そうそう、アルジェリア解放闘争支援を叫んで街頭に飛び出した、実存主義哲学者サルトルの "engagement"(アンガージュマン)も連想させますね。このことば、ちょっと使い心地を試してみたいと思います。


2009年6月20日 (土)

■「太陽の塔」はどっち向きに顔をしかめているか

太陽の塔 クイズです。大阪の万博記念公園に立っている「太陽の塔」。口を横にひん曲げて顔をしかめていますが、さて、右と左とどちらに向けているでしょうか?

答えは、写真を見てください。

仕事がら、この塔にはよく対面する。公園内にある民博(国立民族学博物館)で、文化人類学関係の会議やシンポジウムがよく行われるからだ。訪れるたびに、はて、右だっけ、左だっけ、と顔を見上げている。

公園正門から民博へ向かう道は、ちょうど太陽の塔の右脇の下を通っている。民博に行こうとすると、太陽の塔に顔をそむけられているような気分になる。

「そうか、文化人類学者は、太陽の塔に嫌われているのかもしれない」。そう思ったら、一発で覚えることができた。

ふたつ目のクイズです。麻生首相は、右唇と左唇と、どちらを引き下げる癖があるでしょうか。確か左だったと思うけれど、これについては、まだ覚え方を思いついていません。


2009年6月18日 (木)

■パーティ出席、ゼロ人

あるフォーマルなパーティへの招待状をいただいた。

御出席
御欠席

なお、複数でご出席の場合は、人数をご記入ください。
出席  人

あいにく参加できない私は、欠席の返事を書く。「御出席」を線で消し、「御欠席」の「御」も取り、ひとこと書き添えるなど、標準的なマナーに従ってはがきに記入していく。

ところが、人数のところでペンが止まった。ここに、正しく「0人」と記入しなければならないという衝動的な欲求が、私の心のなかに生じてしまったのである。

出席人数を聞かれたら、ゼロであることは明らかである。それを書くべき空欄まである。ここで「0人」と書かないことは、論理的に一貫性が保てない。論文であれば「データを適切に記入せよ」と、査読者のおしかりを受けるだろう。ゼロが「複数」に含まれるかどうかは議論が分かれるだろうが、「単数」ではないのだから、含まれていると考えて矛盾は生じない。

ここで、社会通念を保っている私のほうに頭のスイッチを切り替える。お祝いのパーティに「出席 0人」と回答するなど、非常識もはなはだしく、ほとんど嫌がらせのようである。だから、ぜったいに記入してはいけないと判断する。だいいちハガキは査読されないんだから、と苦笑しながら自分につっこみ、ぶじに投函。あーあ、データ不備のまま、ハガキは旅立ってしまいました。

研究者の奇妙な性癖だと、笑わば笑え。そういう論理的な几帳面さの積み重ねが、科学を支えてきたのでしょう(たぶん)。


2009年6月12日 (金)

■歯車としての著者

これまで、幸い、本の著者として原稿を書き、読者のみなさまにお届けするという機会をいただいてきた。

「著者は、自分が書きたいことを書けていいですね」という「自由」の側面を想像する方が多いかもしれない。ただ、実感として、私は「著者は書籍生産ラインのいち歯車」だと思っている。謙遜ではなく、実態としてそう思う。

「著作者人格権」(この文章はまさしくその人が書いたのであって、他の人の名前にすりかえることは許されませんよという人格権のひとつ)がある以上、確かに、中身についての著者の決定権は、最大限尊重される。この主張を盛り込みたい、このような語句は使いたくないなどといった意向はおおむね反映されるし、それに応じた文責を実名とともに負う(反映されないこともままあるが、文責は負う)。

ただし、商品としての本については、著者は無力に近い。そもそも本を出すかどうかという企画の採否は、おもに営利の観点から出版社が決めることだし、〆切を含むスケジュール管理、編集、校閲、印刷、製本、販売、広報は全部出版社が主導する。本の命といってもいいタイトルだって、著者に最終決定権はなく、あくまで会社が商品として決めることである(と担当編集者に諭された経験がある)。

著者にできることがあるとすれば、「できれば、タイトルにはこの文言を入れてほしい」「宣伝では、このポイントを強調するといいかも」と、参考意見を述べるていど。著者はへんなプライドを振りかざすのではなく、「御社のご経験から適切にお進めください」と、自ら役割分担に収まるほうが楽である。

「単著」(一人で書いた本)であっても、その本作りに関わった人たちの名前を記し始めたら、映画の最後のキャプションのような長い名簿がずらずらと続くだろう。いまの出版の慣行では、著者が自発的に「あとがき」などで関係者への謝辞を記すという形になっている。たかが「歯車」の分際で、著者が謝辞を記すなどおこがましいなあ…なんてことを思いながら、せめて最大限の感謝の気持ちを、わずかな「あとがき」のページのなかに盛り込んでいる。


2009年6月10日 (水)

■荒涼の校了、寂寥の責了

「校了」と「責了」。どちらも、本の著者が3回の校正を終えて印刷が始まることだが、意味が少し違う。

「校了」とは「これでOK、このまま印刷してください」という終わり方、つまり無修正のゴーサインである。一方の「責了」とは、「ここを直してから印刷してください」という終わり方。最後の校正ゲラにさらに修正を入れ、著者確認をしないまま印刷に突入する。

どちらがいいかといえば、校了のほうがいいに決まっている。仕事が早く終わるほうが編集者も印刷会社も楽だし、著者の最終確認と同意があった方が、間違いのリスクが低いからだ。

これまで「校了しました」と言っていても、実態は責了のほうが多い。いつの日か、責了ではなく校了で美しく終えてみたいなあと思いつつ、往生際の悪い私はできたためしがない(いたらぬ原稿を出したがゆえの「自業自得」ともいえる)。

さて、校了(責了)を終えた著者の気持ちとは、ポッカリと穴があいたような感じ。書きかけの原稿を「体の弱い子ども」にたとえたことがあるけれど。手のかかるやっかいなやつが、あっさりと独り立ちして読者の方に向かって走り出してしまったからだ。後は、静かに見守る以外にすることはない。

校了(責了)後の、一抹のさびしさ。しかし、それも一瞬のことでしょう。次の〆切の足音が、ひたひたと近づいているのですから。


2009年6月9日 (火)

■夜ふかしの共同研究者たち

共同研究をしている仲間たちの間で、急ぎ確認しなければならないことがあった。

「文書を回します。なるべく早めの確認と修正をおねがいします!」

夕方、このようなメールをいっせいに送って、帰宅した。

翌朝メールを開けてみたら、夜のうちに、全員の回覧、確認、加筆が終わっていた。

「私の担当部分について修正を済ませたので、よろしくお願いします」
「私も」
「私も」…

おお、これには感激しましたね。「果報は寝て待て」、一夜にして仕事がかたづいていたのだ。目が覚めたら立派な靴ができていたという、あのグリム童話の靴屋さんみたいな気分になった。

持つべきものは、返事の早い夜ふかしの友である(笑)。おかげさまで、さっさと片付きました。ご協力ありがとうございます。


2009年6月7日 (日)

■「一般向けの本」という片思い

「専門家ではない一般読者を想定して、平易な文体で執筆してくださるようお願いします」

原稿のご依頼をいただくとき、こんな指示を受けることがある。はて、「一般読者」とはいったいだれのことだろう。

うーん。どう考えても、特定の分野の人しか読まないような本/雑誌に見えるのだけれどなあ(苦笑)。本当に一般向けの刊行物を目指すなら、新宿の路上で並べてみたり、駅のキヨスクに置いたりして、売れるかどうか試してみたらいいと思うのだが。私はそれができる自信がないので、やはり特定の読者層をねらい定めて書くことが多い。ただ、それは専門家向けとは限らない。

岩波ジュニア新書を書いたときは、相当腹をくくって作業しましたよ。「中学生以上が読める文体で、おとなの教養にも役立つ専門的な内容を」というのが、編集部の意向だった。私は「いま自分は、中学生や高校生相手に授業をしているのだ」と繰り返し自己暗示をかけ、その口調=文体のまま一気に書き下ろした。論文執筆のセンスをいっさい混ぜこみたくないので、その間は、学術論文の関連の作業は極力入れないようにした。「ジュニアだからといってバカにしてはいけない、真剣にやらないとたいへんなことになるぞ」というのは、同じジュニア新書のシリーズを執筆された諸先輩がたの助言である。それでも、読みやすい本になったかどうかは、読者の反応を待つしかない。

原稿依頼のときの「一般読者」とは、もしかしたら、専門家が思い浮かべる「虚像としての一般読者」なのかも、と想像した。みんなに読んでほしいという気持ちに、偽りはないだろう。しかし、それは真の一般読者にはなかなか届いていない、専門家からの片思いのラブレターなのかもしれない。

「だれのために、何を書くか」。出版不況と言われるこの時代、書き手は胸に手を当て、真剣に考えた方がいいのではないかと思う。もちろんそれは、自分に課した宿題ということである。

【付記】
ちなみに、イベントでも似たようなことが言えるらしい。「だれにでも来てほしい」という焦点のぼけたイベントにはだれも来ない、という法則を見つけた人がいる(牟田静香. 2007.『人が集まる!行列ができる!講座、イベントの作り方』講談社+α新書)。触発されますね。


2009年6月6日 (土)

■3週連続で学会で会った知人

国際開発学会(春の大会)に参加した。毎年春と秋の2回、大会を開催している、まめな学会である。

今回は「人類学と開発援助」という分科会が組まれるなど、フィールドワーカーたちがこの分野で発信力を強めている様子を見ることができた。私も、微力ながら、その潮流に連なる者のひとりでありたいと思う。私は「持続的開発の諸側面」(別名「その他いろいろ」?)というセッションで、去年のコートジボワール調査でのフィールドワークの実践例を話したが、そこでの出会いも有意義だった。いろんな議論の組み合わせを試せるのも、学会の魅力のひとつ。

(1) 先々週のアフリカ学会、(2) 先週の文化人類学会、(3) 今週の国際開発学会と、3週連続の学会参加・発表。さすがに疲れますね。「開発に関わるアフリカの文化人類学」を仕事にしている以上、これはしかたない。バッティングしないだけ、ましというものである。

いくつかの学会をかけもちしていると、やはり同じようにかけもちをしている知人に何度も出会うことになる。「アフリカ+人類学」、「アフリカ+開発」、「開発+人類学」など、テーマが近い研究者とは「おや、先週に引き続き、またお会いしましたね」という感じで再会する。

「アフリカ+人類学+開発」と、3回連続で会う人は、さすがにほとんどいない。…と思っていたら、実は、お一人だけいた。それは、明石書店の編集者であった。3週連続で休日出勤で学会会場にブースをかまえ、本を並べて販売し、研究者と面談して次の企画をまとめ上げる。実は、その方は、かつて拙著『アフリカのろう者と手話の歴史』をあざやかな手腕で完成に導いてくださった、大恩ある担当編集者である。

私「おつかれさま、3週連続でごあいさつですね」
編「ほんとに」(笑)

これで、春の学会シリーズがひと段落、社交の季節が終わる。そこで得た情報と人脈の糧をたずさえながら、自分の机に戻って仕事をすることとしましょう。


2009年6月3日 (水)

■第二の天職、校閲

私の今の仕事は、大学での研究と教育。それは楽しいし、得意だとも思うので、先ざきまで続けたいと思っている。

ただ、私の性格と能力が、ある職種にものすごくたけているのではと、ふと思うことがある。それは「校閲」。

「校閲」とは、刊行で世に出る前の文章を直すこと。私はそれをかなり得意としているのかもしれない、と気付いた。

誤字脱字や文法の誤りを指摘し、理解しにくい文章を言い換える。かなや漢字の表記の混在を見つけて統一し、句読点ひとつ、ピリオドやカンマひとつの使い方まで、目を皿のようにして精査する。疑問点は辞書や文献でとことんまで調べあげ、誤字や表記ふぞろいがありそうだという直感がよぎったら、全ページをめくり直してつきとめる。徹夜してでも誤字を一掃し、首尾一貫した作品に仕立て上げる。そういうことを、徹底してやりたいと思う。というか、誤りを見逃すのが、性分として許せない。

これまでも、私の最終責任において、刊行のゴーサインを出した本や雑誌が何冊かある。校了、つまり修正できる最後の瞬間まで作業し、ゲラを赤ペンで真っ赤にして、編集者をあわてさせたことが何度もある(間違いがあるのだからしかたない)。海外調査に向かう飛行機の中で精読し、アフリカからの第一報で、出版社に膨大な修正要求をメールしたこともあった。もとの原稿を書いた寄稿者はもちろん、プロの編集者や校閲者たちのチェックをくぐり抜けた誤りを発見するということである。間違いを見すごしている甘い仕事ぶりの校閲者に対し、「プロならちゃんと仕事してくれよなー」と思うことも時どきある。

私は、たぶん、本を書く著者のなかでは、そうとう「しつこい部類」に入るのだろうと思う。そのかわり、刊行された後に「あ、しまった!(汗)」と思った経験は、ほとんどない。そのことは、誇りにしている。

ある時、かなり周到な性格の編集者と一緒に仕事をした。相手は、こちらの執筆陣の原稿に、容赦なく修正のツッコミを入れてくれた。ぶじに本が刊行され、出版社の側で本のチラシを作ってくれたとき、私はそのチラシの誤字をいくつか発見し、すかさず朱を入れて出版社に送り返した。

「報復」ということばはそぐわないけれども(笑)。あの律儀な編集者に対して、お返しに私の方が校閲をしてさしあげたという経験は、ちょっとしたほほえましい思い出になっている。

この何日か、遊びの本とか手話の本とか、校了前の最後の詰めの仕事ばかりしていて、あらためて思いましたよ。「校閲」って、もしかして、私の第二の天職なのかもしれない、と。


2009年6月2日 (火)

■昭和堂『遊びの人類学ことはじめ』校了

学術書『遊びの人類学ことはじめ: フィールドで出会った〈子ども〉たち』(亀井伸孝編, 4人による共著, 京都: 昭和堂, 2009年6月刊行) が、校了を迎えました。

ずしりと重たい三校ゲラの束を、担当編集者にお送りする。編者の手を離れ、原稿が独り立ちする瞬間である(おや、昨日も似たような話が)。

「遊び」という現象は分かりやすくておもしろいのに、遊び論は難しくてややこしい。そういうときは、あんまり書斎のなかで悩まずに、外に出て子どもたちの遊びを見に行きましょう。そういうフィールドワーカーのセンスを示すことが、この本の第一の目的。

もうひとつ、この本では、人と動物の遊びを広く見渡すことにした。「人だけでなく、動物も遊ぶ」という人間中心の見方ではなく、「なるほど、人の遊びも、動物の遊びの一部なのかも」と思えるような作りにしました。種のあいだに変に序列を作るのでなく、人の子どもとサルのコドモがいっしょになって遊んでいる本にしよう。これが、編集した第二の目的。

校了した達成感の勢いで、さっそく専用ウェブページ『遊びの人類学ことはじめ』を作りました。

最初の構想から、3年2か月。難解な遊び論の数かずをかみくだいて解説し、「子ども(コドモ)たちから学ぶ」ことを勧める、新しいフィールドワークへのいざないの本ができました。いよいよ今月刊行です。

(2冊同時校了というのは、さすがにくたびれました…)


2009年6月1日 (月)

■岩波ジュニア『手話の世界を訪ねよう』校了

岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』(亀井伸孝著, 東京: 岩波書店, 2009年6月刊行) が、校了を迎えました。

ずしりと重たい三校ゲラの束を、担当編集者にお渡しする。著者の手を離れ、原稿が独り立ちする瞬間である。

「ろう者は聞こえる人たちよりも能力が低い、手話は不便で劣ったコミュニケーションだ」という根強い偏見を、観察事実に基づいて、きっぱりと反証しました。これが、執筆した第一の目的。

一方で、「ろう者は言語的、文化的集団だ」という認識が広まりつつあるけれど、「文化って何?」「言語って?」「異文化理解ってどうしたらいいの?」というあたりに、ちょっと混乱がある。これは、ろう者と手話にまつわる議論の交通整理にきちんと取り組んでこなかった、文化人類学業界の怠慢のせいかもしれません。だれにでも分かるように「文化相対主義(ぶんかそうたいしゅぎ)」のツボを解説した、これは、手話を題材とした「文化人類学ガイドブック」でもある。これが、執筆した第二の目的。

校了した達成感の勢いで、さっそく専用ウェブページ『手話の世界を訪ねよう』を作りました。

最初の構想から、1年4か月。ひとりの文化人類学者が挑戦した、中学生に読める学術書。いよいよ今月刊行です。



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