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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2010年1月

日本語 / English / Français
最終更新: 2010年1月31日
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■『手話の世界を訪ねよう』厚生労働省「児童福祉文化財」に選定 (2010/01/31)
■今しかできない苦労がある (2010/01/29)
■書記長というのはなぜ偉い (2010/01/27)
■同一年アルファベット制覇の偉業 (2010/01/25)
■孫のベビーサインを見たろう者の述懐 (2010/01/23)
■引き出しの多い人 (2010/01/20)
■JAL破綻の報を聞きながらアフリカの森を思う (2010/01/19)
■Google っぽい名刺、Yahoo! っぽい名刺 (2010/01/16)
■道理で寒いはず (2010/01/14)
■インタビュー記事の草稿を直しつつ (2010/01/12)
■置き去りの手荷物 (2010/01/09)
■手話学会のシンポ、東大の新聞で紹介 (2010/01/08)
■アフリカ言語学会議の報告、『アフリカ研究』に掲載 (2010/01/07)
■手話学会の研究倫理シンポの報告、ウェブで公開 (2010/01/06)
■台湾日記2010 (2010/01/05)
■願いごとの優先順位 (2010/01/01)


2010年1月31日 (日)

■『手話の世界を訪ねよう』厚生労働省「児童福祉文化財」に選定

拙著岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』が、厚生労働省の社会保障審議会で「児童福祉文化財」推薦図書に選定された。

「文化財」って、仏像とか絵巻物とか能楽とか文楽とか、そういうやつですか? 古くて価値がある伝統的なものの名前というイメージがあるので、先日うちのパソコンで徹夜して書いていた原稿が「文化財」とは、ちょっとふしぎな感じがします。

「児童の道徳、情操、知能、体位等を向上せしめ、その生活内容を豊かにすることにより児童を社会の健全な一員とするために積極的な効果をもつ」(厚労省)本だとか。うーむ。

・手話は、言語です
・ろう者には、文化があります
・聞こえる人は、それらを尊重して学びましょう

このことだけを、とにかく繰り返し主張した本ですが、政府のお墨付きを得て全国の子どもたちのための推薦図書となった。子どもの「道徳、情操、知能、体位等を向上せしめ」るかどうかは定かではありませんが、たしかに、少数言語である手話への誤解を減らし、敬意を養うことは、よい社会を作るために欠かせない。子どもの頃からきちんと教えたいことだと願っていただけに、この選定はありがたいことだと思っている。

願わくば、省庁の縦割りの壁を越えて、文部科学省や文化庁にも手話の正しい理解が波及しますように。教育・言語政策に影響力をもつ、政官界のみなさんのための課題図書になったらいいなあ、などと思います。以上、著者拝。

■関連リンク
第26回社会保障審議会福祉文化分科会議事要旨(2009年12月21日)
児童福祉文化財について(厚生労働省)


2010年1月29日 (金)

■今しかできない苦労がある

毎日あれやこれや、仕事ばかりでしんどいしんどい。…と、多忙や苦境をグチにすることはたやすいのですが。「苦労しがいのある課題をもっている」というのは、実は幸せなことなのかもしれません。

苦労して何かを作る(たとえば本を完成させる)、苦労してなりたい自分になろうとする(たとえば試験合格を目指す)、苦労して人に喜んでもらおうとする(たとえばよい授業や講演の準備をする)というのは、「未来を変えるチャンスを手中にもっている」ということだ。

仮に、目の前に、膨大なゲラの束があったとしましょう。これを徹底的に精読してチェックし直すとしたら、徹夜は避けられない。やろうか、やるまいか。

そういうときのおまじない。「今しかできない苦労がある」

原稿をよりよく変えられるのは、今だけ。それができる特権を持っているのは、私だけ。出してしまったら手遅れだ。明日気付いたってもう遅い。印刷が始まってしまったら、あきらめるしかないのだから。

〆切前のつらさは、だいたいこのおまじないで耐えられますよ。チャンスが自分の手の中にあるうちに、よいものを書く自由を楽しまないと、ね。

2008年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所で開催された、5週間ぶっ続けの手話言語研修で講師をしていたとき、終盤戦で「そんな苦労ができるのも、あとわずか」というおまじないをつぶやいていたことがある。「そのときにしかできない苦労を楽しもう」。そういう生き方をしたいと思います。


2010年1月27日 (水)

■書記長というのはなぜ偉い

昔、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)という国があったときのこと。子どもだった私は、疑問に思っていたことがあった。

当時のソ連で一番偉かった人は、ブレジネフさんもゴルバチョフさんも、みな「書記長」だった。ほかの国では、だいたい国王や大統領や総理大臣が偉いのに、どうしてソ連では「書記長」が一番偉いんだろう。

あるおとなの答えは、

「書記長は、みんなで話し合った後、最後にまとめて書く人でしょ。それが国の決まりになるから、書く人が一番偉いんだ」

ふうん、すごいな。あの太い眉のブレジネフさんが、ソ連の最高会議の議場で、猫背になって一生懸命紙にペンを走らせている姿を想像した。

やがて、中国で一番偉かった胡耀邦さんや趙紫陽さんも、「総書記」と呼ばれていることを知った。そうか、やっぱり最後にまとめて書く人が一番偉いんだ。ぼくもそのうち、みんなの話し合いをまとめて書く人になりたいな。

さて、気付いたら私はおとなになっていて、いろいろな会議をこなす立場になった。私の習慣は、会議中にノートPCを開き、話を聞きながら記録をまとめてしまうこと。で、できるだけ早く加筆・整形して、すぐにメールで回覧。

おお、私は「みんなの話し合いをまとめて書く人」になれたではないか。夢がかなったね、やったあ!

かくして、念願かなった「貧乏暇なしプチ書記長」は、今日もノートPCを抱え、会議のかけもちをして走り回っています。


2010年1月25日 (月)

■同一年アルファベット制覇の偉業

私の畏友である研究者の I 君が、ついにやってくれました。「同一年アルファベット制覇」の偉業を。

これを理解するためには、論文での文献引用の方法を知っておく必要があります。

たとえば、私が2009年に書いたいくつかの本や論文を引用するとき、(亀井 2009)だけだとどの文献か判別できないので、便宜的にアルファベットを振り、(亀井 2009a)(亀井 2009b)などと区別する慣習がある。

かつて、I 君たち何人かと飲んでいて、ジョークで言っていましたよ。

「じゃあ、同じ年に論文を27本以上書いたらどうなる? a から z まで使っても足りないわなあ」(笑)

できっこないと思うから、冗談で言っていたのです。それを、I 君がやってしまったのです。

「3月までに、z まで使い尽くしたわ…」

つまり、今年の最初の3カ月で、26本の論考が出版されてしまうということなのです。まったく、とんでもない話です。

この人、4月以降に刊行される文献は、どう呼ぶつもりなんでしょうか。ギリシャ文字でも使って、2010αとかβとかで数えますか。それでも足りなかったら、キリル文字でもアラビア文字でも、このさい好きにしていただきたい。

私も、「同一年アルファベット制覇」が目標です。それができたら、次はいろは歌にしようかな。(亀井 2010を)(亀井 2010ぬ)とかね。居酒屋の下駄箱の札みたいです。

それとも、東海道五十三次で数えてみようか。(亀井 2010箱根)(亀井 2010三島)とか。おお、旅情があっていいかもしれません。お正月にお江戸日本橋を発ち、毎週1本ずつくらいのペースで論文を書いていけば、初夏には浜名湖あたりを通過して、大晦日には京都の三条大橋にたどりつけるというわけ。

いずれにせよ、こんなこと、人生で何度もできることではありません。I 君、偉業の達成おめでとう。私も、若いうちに挑戦したいと思います。


2010年1月23日 (土)

■孫のベビーサインを見たろう者の述懐

X「うちの孫が、保育園で手話を覚えてきてさ」

ある著名なろう者団体の幹部のかたが、こう語り始めた。

X「変な手話を使うんだな。『ベビーサイン』というのを習ってきたらしいんだが」
私「たとえば?」
X「『もっと』って、ふつう手話ではこう『○○○』だろ。ところが、孫は『△△△』と表現してる」
私「変ですね」
X「うん。だから、こう『○○○』するんだって教えてやった」
私「そしたら」
X「すぐに正しい方を覚えたよ。まあ幼児だから手の形はちょっと違うけど、動きは合ってるな」(笑)
私「覚えるの早いですね」
X「うん。手話は、始めからろう者に会って覚えればいいんだ」
(原文は手話会話。日本語に翻訳してあります)

(注)△△△=日本手話の語として見れば、「マナー」と訳せる手の形と動き

「ベビーサイン」というのがあるらしい。私自身、それを習ったことがないので、よしあしは簡単には言えないけれど。でも、通じない手話よりも、通じる手話を教えた方がいいんじゃないかなあという思いもある。ともあれ、いろんな見方をされているんだなということが分かりました。

それにしても。全国的に有名なろう者団体の大幹部の孫とも知らず、ろう者に通じない手話を園児に教えた保育園の先生も、大胆なものだなあ。私には、そんなことできません。


2010年1月20日 (水)

■引き出しの多い人

「引き出しの多い人ですね」

研究者の世界では、これはおおむねほめことばである(たぶん)。

たとえば、原稿や講演、発表をだれかに頼みたいとき。

「あの人、このテーマでちゃんと執筆(発表)できるかな」
「大丈夫! Aさんは引き出しが多い人だから」

つまり、「ひとりでいくつもの専門やテーマをもち、状況に合わせて使い分けができる人」という意味で、企画者としては安心して頼めるというわけだ。

で、私は「引き出しが多い人」だとよく言われる。人類進化もアフリカのことも国際開発も子ども研究も手話に関わることも、それなりに素材をもっていて、場面に応じて使い分ける。私としては、ぜんぶひっくるめて「文化人類学の一種です」と言いたいが、傍目にはそう見えず、あたかも薬箪笥のように引き出しが並んでいる人間に見えるらしい。

それもいいけど、私の理想は「ドラえもんの四次元ポケット」。細かく引き出しに分かれているのではなく、すべてを飲み込むすごい引き出しがひとつだけある。その方が、ひとつのテーマしか入らない小さな引き出しの寄せ集めよりも、夢と驚きがあっていいでしょう。

「ドラえもんの四次元ポケットのような人ですね」

おお、かっこいいですね。いつか、そう言われるような人になりたいと思います。


2010年1月19日 (火)

■JAL破綻の報を聞きながらアフリカの森を思う

「日本航空、会社更生法適用申請」のニュースがかけめぐっていた今日。そのかたわらで、私の心は別世界にとんでいた。

アフリカの熱帯雨林に暮らす、狩猟採集民の子どもたち。一心になって小動物を追いかけ回し、魚を手づかみで捕らえ、枝や葉を組み合わせて自分たちでおもちゃを作って遊ぶ。その子どもたちとともに暮らした1年半の調査をまとめた民族誌が、完成しました。

博士学位論文をもとにした『森の小さな〈ハンター〉たち: 狩猟採集民の子どもの民族誌』と題した大部の原稿が、最後の調整を終えて、今日、私の手を離れました。近日中にお目見えとなります。

この本の成り立ちの発端を思い起こすと、たしか14年前にさかのぼります。そのあたりの経緯は、また日をあらためてご紹介しましょう。

私に森歩きを教えてくれた狩猟採集民の子どもたちに、敬意を込めて捧げる「子どもたちが主役となる民族誌」。ご期待ください。

■付記
校了の勢いで、特設ページを作りました。ご笑覧ください。

『森の小さな〈ハンター〉たち: 狩猟採集民の子どもの民族誌』


2010年1月16日 (土)

■Google っぽい名刺、Yahoo! っぽい名刺

Google 風名刺 ふだんおなじみの、GoogleYahoo! JAPAN の検索画面。

そのデザインで、あなたの名刺を作れます!というおもしろいサイトを発見。

Googleの検索結果っぽい名刺でアピールする為のサイト

Yahooの検索結果っぽい名刺でアピールする為のサイト

#各社のロゴなどは知的財産に関する法律によって保護されているので、商用での使用はできません。

#セカンド名刺として、遊びで作りましょう。

Yahoo! 風名刺


2010年1月14日 (木)

■道理で寒いはず

氷上散歩中の鳩 寒い寒い。寒さは大の苦手。

この時期になると、毎年かならず思う。いったい人類はなぜアフリカを出て、こんな寒い地域に住むことを選んでしまったのだろうか。いや、正確には、アフリカを出なかった人たちのグループもいるから、言い直しましょう。私はなぜ、「うっかりアフリカを出てしまった先見の明のないグループ」の末裔に生まれてしまったのだろう。まあ、つまり、寒いのは嫌いなんです。

職場の大学のキャンパスの池に、分厚い氷が張っていた。鳩が氷上をてくてくとお散歩中。平和の鳥だけに、何とも平和な鳥です。

池の厚い氷を見たとき、思わず「うわ、道理で寒いはずだよね」ということばが、口をついて出た。

このことば、反芻してみると、何とも不思議な物言いだ。「寒い」と感じているのはほかならぬ自分のくせに、主観的な印象だから自信がない。「厚い氷が張っている」という客観的事実を見つけて、印象を裏付ける根拠にしたい。ほら、私の主観は間違っていなかったでしょ、というわけ。ずいぶんと他力本願な根性ですね。

寒いときぐらい、自分の印象で宣言しましょうか。「寒いといったら、とにかく寒い!」


2010年1月12日 (火)

■インタビュー記事の草稿を直しつつ

本を出版したりする仕事がら、私の研究の内容を紹介してくださるメディアの取材をお受けすることが時どきある。ご依頼をくださり、ありがとうございます。

これまで、二つのパターンを経験した。

(1) 耳が聞こえる取材者の方。私は日本語で話す。声の録音をもとに、同じ日本語の文章で草稿を作っていただき、私が加筆修正する。

(2) ろう者の取材者の方。私は日本手話で話す。ビデオ録画をもとに、手話から日本語に翻訳した草稿を作っていただき、私が加筆修正する。

さて、修正が少なくて済むのは、(1) と (2) のどちらでしょうか。

答えは、(2) です。意外でしょうか。

(2) のように、手話から日本語への「言語間の翻訳」があると、さぞかし内容が食い違って困るのではないかと思いきや、手話で語った私の真意がほぼ正しく写し取られた文章になって届いた。これは、すごいことだと思う。翻訳者の腕も、優れていたのでしょう。

一方、(1) のように、同じ日本語を使う人どうしであっても、前提として手話やろう者の文化、聴覚障害などについての知識が十分に共有されていない場合、「あ、これはちょっと思い切って文章を直さなければ…」となることがある。

聴者が作るメディア (1) も、ろう者が作るメディア (2) も、どちらも大切で、どちらに対しても喜んで取材をお受けしたいと思う。ただし、背景知識の違いによって、説明のしかたや対応をかなり使い分けなければいけないのだなと実感した次第。

[結論]ほかの人に書いてもらった記事を直すとき、言語の違いよりも、文化(背景知識)の違いの方が、大問題。


2010年1月9日 (土)

■置き去りの手荷物

だれも近くにいない、置き去りの手荷物を見かけたら、あなたはとっさに何を思いますか?

ある首都圏の空港でのできごと。大きなカバンがひとつ、床にぽつんと放置されていた。近くにはだれもいない。私は思わず、「あ、危ない…」とつぶやいた。

少し年配の層の人が、「そうね、危ないね。置きっぱなしだと、荷物盗られちゃうよね」と続けた。

「いや、そうじゃなくてですね。怖いのは爆発」と、私は付け加えた。

かつて、パリのシャルル・ド・ゴール空港で見かけた光景を思い出す。ベンチに座って、ぼんやりと乗り換えの飛行機を待っていたときのこと。隣のベンチに、荷物がひとつ放置されているのが見つかった。急遽、銃を持った武装警官たちが出動し、「このカバンはだれのものか」「君は所有者を目撃したか」と、厳重警戒態勢に入った。結局、ちょっと用事でその場を離れただけの不用心な旅行者が見つかって、警官にお説教を食らっていたけれど。

カバンの持ち主のことを気づかってあげられる時代は、よかったと思う。その逆で、カバンの持ち主が、自分を含む不特定多数の人びとを殺傷することをちらりと想像せずにはいられない、そういう時代は何とも不幸だと思う。

他人のカバンの中に詰まっているのは、善意でしょうか、悪意でしょうか。いや、より正確に言い直しましょう。

「あなたは、他人のカバンの中に、善意と悪意と、どちらを見たいと思いますか?」


2010年1月8日 (金)

■手話学会のシンポ、東大の新聞で紹介

日本手話学会の大会のことが、会場となった東京大学の学内新聞『教養学部報』で紹介されました。一面トップです。

執筆したのは、社会人類学者であり手話通訳士でもある、北林かやさん。現在は、東大のバリアフリー支援室にコーディネータとして勤務している。研究倫理をめぐるシンポジウムの様子も、写真入りで詳しく報じられています。

■手話学研究の未来に向けて: 日本手話学会研究大会報告
教養学部報20100106 大学を始めとする研究機関構成員の圧倒的多数を聴者が占め、音声言語をベースに研究が進められる現状にあって、手話学研究に重要な役割を果たすべきろう者が、研究の作業言語として日本手話を駆使し、聴者の研究者と対等な立場で研究領域に参入していくための基盤は、まだ不十分である。
(…)
そこで、今大会では『手話研究のあり方を考える』と題したシンポジウムが企画された。
(…)
限られた時間ではあったが、研究のあり方そのものを公的な場で討議し、問い直そうとする意義ある試みであったと思う。

北林かや. 2010.「手話学研究の未来に向けて: 日本手話学会研究大会報告」『教養学部報』(東京大学教養学部) 第526号 (2010年1月6日): 1ページ.

そのほか、米内山明宏さんの基調講演や、個人発表の数かずなども、丁寧に紹介されています。

入手方法については、キャンパスでは無料で配布しているようですが、一般向けに提供しているのかどうか、くわしく存じ上げません。

お手に取る機会があれば、どうぞごらんください。


2010年1月7日 (木)

■アフリカ言語学会議の報告、『アフリカ研究』に掲載

昨年8月に参加した、第6回世界アフリカ言語学会議(WOCAL6)の参加報告が、日本アフリカ学会の雑誌『アフリカ研究』に掲載されました。大阪大学世界言語研究センターの言語学者、米田信子さんとの共著です。
■2009年12月31日 [日本語]
亀井伸孝・米田信子. 2009.「理解と進歩のためのアフリカ言語学: 第6回世界アフリカ言語学会議(WOCAL 6)参加報告」『アフリカ研究』(日本アフリカ学会): 45-47.
言語学会議の会場のドイツのケルン大学で、米田さんとばったり出会って、立ち話。

私「この会議について、だれか参加報告を書くという話、あります?」
米「いえ、聞いてません」
私「なら、書きましょうか?」
米「書きましょう!」

こういう企画は、だいたい10秒くらいで決まります。アフリカの音声言語の研究動向については米田さんが、アフリカの手話言語の研究動向については私が。それぞれの得意分野を分担して、合作することにする。学会のすき間時間にさっそく構成を決め、帰りの機内で草稿を書いてしまい、学会の編集委員会でもスピード採択。こういう行事報告のようなものは、「即断、即執筆、即公開」に限りますね。気持ちがさめないうちに。

世界アフリカ言語学会議の発足以来、初めて「アフリカ手話言語分科会」が開催された、記念すべき大会。その様子を、コンパクトな報告文にまとめました。こういう貴重な体験は、必ず何かの形でネタにしなければ、気がおさまらないのです。私ひとりの記憶のなかに埋もれてしまったら、もったいないではありませんか。基本的に、私はケチな性分なのでしょう。

ぜひ、図書館などでごらんいただきましたら幸いです(いずれウェブ上でも公開されると思います)。

[関連日記]
世界アフリカ言語学会議の規約改正 (2009/09/18)
ドイツ日記2009 (2009/08/15-24)


2010年1月6日 (水)

■手話学会の研究倫理シンポの報告、ウェブで公開

日本手話学会の昨年の大会(2009年10月31日、東大駒場キャンパス)で開催された、手話研究の倫理をめぐるシンポジウム。その報告書が、日本手話学会のウェブサイトで公開されました。

■2009年12月15日 [日本語]
亀井伸孝. 2009.「日本手話学会第35回大会シンポジウム『手話研究のあり方を考える』報告」日本手話学会ホームページ (2009年12月15日提出; 2010年1月4日掲載).

学会の大会が終わったその日に、深夜までかけて書き上げた報告です。こういうものは、勢いで書いてしまうに限りますね。

シンポジウムをやってみて気付いた、多くの発見がありました。とくに思いを込めて書いたのが、「4-2. おもな論点と展望」。詳しくは中身を見てください(PDF)。

(1) 倫理問題の多面性(→ 主催者も気付いていなかったけれど、手話の研究にまつわる倫理問題はいろいろあるらしい!)
(2) 一般論の理念と個別事例への対処(→ 理想論だけで終わらせない、実際にこれから何をしていきましょうか?)
(3) 学会の多機能化への期待(→ 手話学会、もっといろいろな社会的役割を意識してがんばらなきゃ!)

基本的には、学会が大勢の会員を受け入れてにぎわい、元気を取り戻していくためのエールだと思っています。

「倫理問題って、自由が制約される、きゅうくつな感じ?」

いえいえ。「最低限の交通ルール」を定めて、あとは自由にやろう!というふうに、むしろ学問の自由を拡大するために検討されているのです。今後とも、どうかご注目ください。

[関連ページ]
『手話学研究』第18巻 (特集・手話研究の倫理)


2010年1月5日 (火)

■台湾日記2010

正月休み、ちょこっと台湾に行ってきました。あわただしく台北市内の名所をめぐる、ツアー旅行です。

ツアーに参加するなんて、高校の修学旅行以来かも?と思うほど、こういう体験は久しぶりです。

なるほど、ツアーだと、いろいろなことをすべて旅行会社におまかせできる。自分で調べて考える必要がなく、失敗もなくて楽な反面、連れて行かれるお店は割高な所ばかりなわけか、と、よく分かりました。

台湾のエバー航空の乗務員たちは、ほぼ例外なく、私に北京語で話しかけてくれた。日本人客と思われていなかった。なぜだろう。私はそんなに、中国か台湾生まれの顔をしているでしょうか。

名所旧跡を回って、写真を撮って、食べるもの食べてあわただしく帰ってきましたが、印象に残ったことがひとつ。台湾では、1月になっても、クリスマスツリーが燦然と輝き、ジングルベルが鳴り響いていた。どうやら、台湾が、1月1日よりも2月の旧正月を大事な区切りと考える社会であることが関わっているらしい。年が変わっても、何となくクリスマスが続いているのである。

日本では、雰囲気を正月一色に染めるために、12月末にあわただしくクリスマスを片付けてしまうことが多い。クリスマスの空気が好きな私にとっては、「明けましておめでとう」のあとにジングルベルが鳴り響いているという、ちょっと変わったおもしろい一年の始まりとなりました。


2010年1月1日 (金)

■願いごとの優先順位

ねこ&かめ2010謹賀新年 2010年、新年明けましておめでとうございます。

年賀状のために作成した、私ども夫婦(+セキセイインコのチャッピー(♂))の和装イラストです。

年末、いくつかのイラスト描きであたふたしていまして。その勢いをかって、すき間時間に Adobe Illustrator CS で、ちょこちょこっと仕上げました。今年もときどき、楽しい絵を描きたいと思います。できれば仕事だけでなく、遊びでも。

インフルエンザもおさまらぬご時世、今年は有名寺社の人ごみを避けて、近所の神社で初詣。願いごとを三つしました。イメージで言うと、ホップ、ステップ、ジャンプかな。自分の努力でできることは、計画を立てて実行するだけのことだから、その力の及ばないところを選び出して、神頼みする。

妻「でもな、神様にしたら三つは多すぎるって。最初のひとつしかかなえませんて」(笑)
私「うわ、それ先に言うてえな。それなら、三つ目から言うから」(汗)

厚かましい夫婦は、それぞれの願いを山積みにして差し出し、さい銭を投げ入れ、お神酒を一口いただいて帰ってきました。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。



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